柳条湖事件は、満洲事変の発端となった事件です

柳条湖(*注)「柳条溝」は誤り)事件は、 河本大佐の後任の関東軍高級参謀の 板垣征四郎大佐と関東軍作戦参謀石原莞爾中佐が首謀しておこなわれたました。


画像引用;フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

柳条湖事件は、 特務機関補佐官花谷正少佐、張学良軍事顧問補佐官今田新太郎大尉らが 爆破工作を指揮し、河本末守中尉らが工作を実行しました

第二次世界大戦後に発表された花谷の手記によると、 関東軍司令官本庄繁中将、朝鮮軍司令官林銑十郎中将、 参謀本部第1部長建川美次少将、参謀本部ロシア班長橋本欣五郎中佐らも、 この謀略に賛同していたのです。

1931年(昭和6年)9月18日午後10時20分頃、中華民国の奉天 (現在の中華人民共和国遼寧省瀋陽)北方約7.5kmの柳条湖の 南満州鉄道線路上で爆発が起き、線路が破壊されました。

実際には、爆破は関東軍の虎石台(こせきだい)独立守備隊の一小隊が 行ったもので、つまり関東軍の自作自演でした。

この爆破事件のあと、南満洲鉄道の工員が修理のために現場に 入ろうとしましたが、関東軍兵士によって立ち入りを断られました。

また、柳条湖事件の爆破直後に現場を急行列車が何事もなく通過したことからも、この爆発がとても小規模だったことが伺えます。

*注) 日本では長く「柳条溝事件」と称されていました、 これは当時伝えられる際の誤りだったと1980年代になって判りました。 現場の地名は「柳条湖」です。 980年代以前の歴史書、論文には誤った 名称が使われているので注意が必要です。。

 

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